ゲームとわたし

Twitterでフォローしている、そして個人的にとても尊敬しているあーにゃさんがゲームと半生についてエントリを書かれていたので、こっそり私も自分語りしたいと思います。

ゲームとわたし、ということですが、私の人生で余暇を楽しむ時間があった時期にはかならずゲームをしていたように思います。
逆にゲームをしていなかった頃は、ほとんど記憶がありません。思い出すトリガーになるものがないのでしょうね。
それぐらい、娯楽といえばゲーム、という半生を送ってきました。
ちょうどファミコンと同世代なので、成長とともにゲームがリッチになっていく恵まれた時期に子ども時代を過ごしたのもその要因の一つかもしれません。

 

私は決して裕福ではない、でも家族仲のいい幸せな家庭に育ちました。
ファミリーコンピューターが発売された頃に生まれた私でしたが、ゲーム機を買うような余裕は我が家にはなかったと思います。
ある日、今は亡きおじいちゃんがパチンコで大勝ちし、ファミコンとソフト数本、そしてファミリーベーシックをゲットしてきました。
インベーダーゲームやアルカノイドに高校時代ハマっていた母(当時26歳ぐらいでしょうか)はファミコンにハマり、毎晩マイクタイソンパンチアウトを遅くまで遊んでいたのを思い出します。

マイクタイソンパンチアウト

そんな姿を見ていた私は自然とゲームが身近なものになり、幼稚園の頃の誕生日にスーパーマリオブラザーズをおじいちゃんに買ってもらいました。少し凹んだ中古のカセットでした。
これが私の初めて買ったゲームです。我ながらナイスチョイスです。
その日から狂ったようにマリオを遊び、母とどこまで進んだだの、あそこはこうすればいいよ、という親子の会話をしていました。
他にもゼビウスやギャラガ、グラディウス、スカイキッド、スターフォースなど、今思えばシューティングばかり遊んでいましたね。

不思議と母にはゲームばかりするな、と怒られたことはありません。
テレビが一台しかないので、家族がテレビを見ない、限られた時間だったからかもしれません。
母はよく自分のことは自分に返ってくるからな、と言っていたので、ゲームばかりして支障が出るなら、自分でわかるだろう、ぐらいに構えていたのかもしれません。
今親の世代になって、そのすごさを改めて感じます。
実際、ゲームを清々しく遊ぶために宿題やテスト勉強を割としっかりやっていたので、よい子どもだったと自分でも思います。
今でもゲームするために素早く家事全般をこなしていますので、それはあまり変わらないのかもしれません。

あと、ゲームと同じぐらい、攻略本が好きでした。
特に攻略本の巻末なんかにあった、ゲームをつくった人のインタビューのコーナーが大好きでした。
みんなとても楽しそうにゲームの世界のことを語っていて、それはまるで神様のように見えたものです。
子供心にゲームの世界はつくりもの、というのはもちろん理解していましたが、つくりものの世界にはちゃんとした神様がいるんだ、ということがなんだか不思議に思った気がします。

この攻略本の巻末のインタビューが大好きでした。

 

小学生時代はドラクエVやファイナルファンタジーIV,V,VI、クロノトリガーなど、今でも遊びたくなる名作ゲームで思う存分遊びまくりました。
小学校の5,6年生頃にはポケモン赤・緑が発売され、大きなゲームボーイを抱えて放課後友人宅に集い、通信ケーブルで交換や対戦に明け暮れていました。
みんなで協力し、ポケモン図鑑を埋める日々。
150匹の図鑑を埋めた時、はじめて達成感みたいなのを感じました。
それは小学生には形容しがたい、不思議な感覚だったのを今でもはっきり覚えています。
その場限りの遊びばかりしていた私にとって、ポケモン図鑑のコンプリートは努力して達成したはじめての目標だったのかもしれません。

中学に上がるとテニス部に入り、夏休みの練習が終わった後はテニスゲームで戦略に磨きをかけるという日々でした。
スマッシュコートが売れていた頃でしたが、私たちが遊んでいたのは『わいわいテニス』というマイナーなソフトです。

今見るとチープなパッケージ

そんなゲーム漬けの私にもゲームから離れる日々がやってきます。
そう、受験です。
生徒会長だった私は生徒会と勉強の両立に忙しく、ゲームをせずに自宅で生徒会新聞を作り勉強に明け暮れていました。
こっそり、ゲームボーイ版のドラクエ3だけは遊んだ記憶があります。

一度ゲームから離れると、不思議と高校時代になってもほとんどゲームをしませんでした。
バンド活動に明け暮れ、恋をし、どことなくゲームなんて高校生がやるもんじゃねえぜ、みたいな斜に構えたところもあったのかもしれません。
時期的にはPS2やゲームキューブの頃でしょうか。

ひっそりとした大学に進学した私は、生物学を専攻していたので、かなり忙しい学生生活を送ります。
1、2年生の頃はFF11やシムピープルなどのPCゲームや、通学の電車でGBA、PSPなんかを遊んでいましたが、それもほんのわずかでした。
朝から夜中まで実験をし、行き帰りの電車で実験結果をまとめる、そんな日々が続きます。
そのまま大学院へ進学しましたが、突然早く結婚したいという思いに駆られ、大学院を辞めました。
その頃就きたい仕事はかなり分野違いで、試験があるような職種だったので、退学後も毎日睡眠時間を削って勉強していました。
この頃はゲームはおろか、娯楽というものに触れていなかったので、正直ほとんど記憶がありません。
余暇の時間というのは人生にとって大事だな、となんとなく悟ったのもこの時期です。

その後無事仕事に就き、すぐに今の奥さんと結婚しました。

そんな感じでしばらくゲームをしていなかった時期が続いたのですが、ある日ゲームを全くしない奥さんがPS3が欲しいとねだってきました。
テレビを録画してブルーレイを見れる機械として、PS3が一番お手頃だったのです。
そこからというもの、失った時間を取り戻すようにゲームにのめり込んでいました。
奥さんと一緒にプレイしたいという思いもあったのでコントローラーを2個買いましたが、バイオハザード5をチョイスしたせいもあって、奥さんがゲームにハマることはありませんでした。
今も諦めずピクミンやマリオカートなど、カジュアルなゲームをたまに一緒に遊んでいます。

そうこうしているうちに、私はとあるやっかいな病気にかかりました。
原因や治療法はよくわからないけど、全身が痛み、脱力するような病気です。
一番悪い時期は起き上がることもできず、仕事も休職することになりました。
当時確か26歳とかでしたので、私も妻も、現実を受け入れるには若すぎました。
短い半生の中で、二人ともこんなに辛い時期はなかったと思うぐらい辛かったです。
細かい記憶が残らないくらいに。

しばらくするとコンビニに行くぐらいには回復したのですが、会話する人といえば妻と店員ぐらいの生活を送っていました。
そんな矢先、とあるゲームを始めました。
ドラゴンクエストX。シリーズ初めてのMMORPGです。

いただきもののWiiがあったので、なんとなく、ほんとになんとなく始めたドラクエX。
現実ではまだ満足に動かない身体と違い、ゲームの中の私は元気に飛び跳ね、冒険をしています。
ゲームの中で友人もできました。ゲームの中で嫌なこともありました。
そのすべての出来事が、病気のつらさから私を救ってくれたように思います。

2年ほど続いたリハビリの成果もあり、仕事にも復帰し、普通の生活を取り戻しました。
ドラクエXの世界からは少し遠のいてしまいましたが、今も私はいろんなゲームで遊んでいます。

そして子供のころから変わらず、ゲームをつくった人のインタビューがゲームと同じぐらい好きです。
変わったのは、私もサラリーマンになり、かつて神様のように感じたゲームをつくる人のことを同じ人間だと感じるようになったことです。
ゲームをつくった人が伝えたかったことはなんなのかを感じ、あるいは納期や予算という大人の事情で伝えられなかったことを感じながら、ゲームを楽しんでいます。
積みゲーもたくさんできましたが、少しでもゲームをつくった人たちに貢献できれば、というような思いでおこづかいをゲームに費やしています。

ゲームはひとときの娯楽ですが、少なくとも私の人生を少しリッチにしてくれるものです。
絶対に体験できない物語を体験したり、旅行のように景色を楽しみながら冒険したり、時には共感して涙したり。
なんとなくゲームは娯楽としての扱いが少し恵まれていないと言うか、オタク向け文化のように扱われがちですが、私は決してそうは思いません。
小説や映画が多くの人を魅了したのと同じように、そこには感動やワクワクがあると思うのです。
願わくば小説や映画と同じように、名作がきちんとアーカイブされ、ひとつの文化となってほしい、それがゲーマーとしての私の願いかもしれません。

人生も折り返し・・・にはもう少しありそうですが、これからもゲームで遊び、色々な体験をして行きたいと思います。

 

おしまい

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